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【第6回】彼女の「嫌い」なところ:コンプレックスが与えるもの

2017.06.10

【第6回】彼女の「嫌い」なところ:コンプレックスが与えるもの


思春期真っ只中の子たちから今日もDMが届く。


「あの子が私に対して嫌な気持ちを持っている気がします」

「わたしは自分の見た目が嫌いです」

「自分のことを好きになれません」


……彼らのために5回分、コラムを書いてきた。

でも、そういう風にコンプレックスや自意識に悩む時期っていうのも大事だよなぁなどと思う。


わたしは、大人になってずいぶん生きやすくなった。なんなら中高生のときがいちばん重苦しい自分でいたような気がする。やたらと物事が気になり、人の視線に敏感になり、物思いに耽る時間もあったからかもしれない。


定期的にうちにきてくれていた整体の先生には「肩こりが尋常じゃない」と言われていた。毎日のようにパソコンに向かっているいまよりも、何倍も身体中が凝っていたように思う。精神的にも沈みやすかった。いつも何かに悩んでいた(我ながら、心底可愛くない)。


……なぜこんなに生きやすくなったのだろう? と考えを巡らせてみると、「自意識が少なくなったこと」が理由かもしれない、と行き着く。


強すぎるコンプレックスや自意識は、知らず知らずのうちに「自分の生き方を制限してくる」。それで自分が縛られ、欲求がくすぶり、疲れていくのだろう。



それにしても、思春期の自意識って、どうしてあんなにすさまじいのだろう。


自分の目の形、鼻の形、笑った時に見える歯の形、髪型、額の大きさ、眉毛、指の太さ、脚の太さ、身長、体重、仕草……。なにもかもに意識がいっていた。


絶対に前髪は上げなかった。あのころ眉毛が見えることは、下着を見られるのと同じくらい恥ずかしかった。


数分ごとに鏡を見ないと落ち着かない気持ちになったり、男子の視線が気になって下ばかり向いてしまったり、髪の毛のうねりひとつで好きなひとと話す機会を自ら投げ捨てたり、夜な夜なあやしい美容法を実践して目の大きさを変えようと努力したり。


あの頃の自意識は、本当に独特だった。自分と他者の違いに気づいてまだ数年しか経っていないからこそ、違いが新鮮で、自分の持っているものにもやたらと興味の湧く時期だったのかもしれない。


こういう自意識があると、当然ながらのびのび振る舞うことができない。気になることが多すぎるから。本当は着たい洋服があっても、他人の目を気にして着られない、完璧な状態じゃないと好きなひとに話しかけれない、思い切り笑えないなどという具合に。


ストッパーが働き、本来選び取ることができた「自分にとっての幸せ」を自分で捨ててしまっているのだ。自分の過剰な自意識によって。


でも、あのころだってモテる子は自意識が強すぎない子だった。わたしが前髪を気にしている間に、乱れなど気にせずにまっすぐに男子と話せる子はすごくモテた。結局、自意識は所詮自分だけの意識にすぎない。どれだけ気を配ったところで、本来の目的(たとえば「好かれたい」「良く見られたい」)は達成されることもなく、無駄に終わっていく。なんてもったいなかったんだろう、といまになって思う。



中・高までが他者から見られる自分に興味があったとすれば、大学では「自分とは何か?」という自意識が高まった。自分が何を感じ、何を考え、どんな思考パターンをする人間なのか、やたらと興味があった。


そのころは、くよくよしやすかった。自分のダメなところからいつまでも目をそらすことができなかったから。


これもまた、「生き方を制限」してきた。次に進んでみて、体当たりしてみればいいところを、いちいち立ち止まってくよくよしていた。また失敗したらどうしよう、わたしってもしかしてこういうのは向いていないんじゃないか? などと一人で思い悩み、行動することに躊躇し、何も物事が進まなかった。選び取りたい選択肢も、「向いていないかも」などと勝手に決め付けた。


考えれば考えるほど、自意識過剰になっていいことなどひとつもないな、という気がしてくる。


どうせ誰もそこまで見ていないのに、自分一人で自分のことだけを考えていて、なんと独りよがりなことだろう。



そんな中・高・大を超え、悩み抜いた果てにだんだんと自分と人とが違うことを自然と受け入れられるようになり、なにより自分のことばかり考えていられなくなった。目の前の仕事や生活への不安などに意識を配るようになって、自分のことをいちいち気に病む時間が物理的に減ってしまった、とも言える。


そうしてあの過剰だった自意識は徐々に健全な量になり、そしてとても、いや、とっっっても生きやすくなった。


なにかに左右されず、自分の幸せを選ぶことができるようになったのだ。


ひとの目を気にせずに、自分の好きな服を着られる。やりたいことを選択できる。好きなひとにはまだできるだけ可愛い状態で会いたいけど(笑)、でも昔よりは堂々としていられるようになった。


あのころ悩んでいた時間を経てようやく、そういうご褒美が得られるようになったのかもしれないと思う。


五回分のコラムで、結構厳しめにスパッとずばっとアドバイスをしてきたけれど、コンプレックスに悩むDMは減らない。それなら正直、いまはそれで悩むのがいいんじゃないかな、とたまに言いたくなる。


頭の片隅に「コンプレックス・自意識によってわたしは人生の何割かを無駄にしている可能性がある」と思いながら悩み続けて欲しい。その先にしか「楽になれる道」は待っていないのかもしれないから。


いまタイムマインで中学生の自分にあったらこう言いたい。

「そのまま悩めよ。大丈夫、26にもなれば肩こりから解消されてふわふわ笑えるようになってるぜ」。



(ライター/さえり 編集/サカイエヒタ)


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